お晩でございます。
時候の挨拶は抜きにして本題入ります。
▼最初に…狭量的なヘイト行為。最近ではこんなんのも見かけまして。
『反日民族は大和民族より色素が薄いから光や日光に弱い。目に懐中電灯を近づけて眩しがったら在日』
…これ、どう見ても人身攻撃の域になるし、大体特定させる意味あるのか。更に
『戸籍謄本と家系図をDMで送らせろ。これで嫌がったら確実に反日』
…ワガママもここまで来ると心底からの軽蔑を覚える。こんなもの「ひとつの意見」として扱う必要はない。蓮舫氏の一件、悪影響バリバリに出ているな。本当なら直に叱りつけるべき行為ですが、聞きませんからね。ざっと該当者のタイムライン手繰ったら「聞かない人」。権力者の専横と、その支持者による横暴が加わって、悪循環が拡がり、当たり前に踏まえる行為が蔑ろにされていく。大阪市とサンフランシスコの件も。とにかく、彼らのママにさせるわけにもいきません。反証は出し続けます。
▼最近のTwitter論段見ていて気になるのが「定義の破壊」。強者が強者として認識されず、弱者が弱者として認識されず。その結果何が起きているかというと「重ねての弱者虐待」。強者と弱者、力関係記せば当然強者の側に“アドバンテージ”有りますね。(以下、大まかなイメージ図つけます)
→強△△△△:弱△
しかしそれを人権思考取り入れてある程度均してきた。
→強△△△△▲:弱△▲▲
それが気に食わないか息苦しいか。人権加算(▲)のみを見て「逆差別」のべる人が増えた。▲だけ見て「不公平」思う人が、更なる人権の拡充↓
強△△△△▲▲:弱△▲▲▲
…図らずに、弱者を「強者」と見なして人権を剥ぎ取る様子↓
強△△△△▲▲:弱△▲
をよく見かけるようになりましたね。ただ単に剥ぎ取るだけだと強奪言われますから、それぞれに自己責任論投げつけて黙らせる。
しかし、それぞれ難儀抱えている人が動くのは現状打破のため。普通のやり方で理解納得すればいいのでしょうが、それが為らなかったら?ある程度既成ぶち破る必要あるのと違いますか。特に、いまの収奪主義社会。経済強者がワガママ振るい、権力維持するためにそこら辺と“オトモダチ”なって、彼らだけが優位に進められる社会のいま、それに従わない、外れている者が要求実現させるのは簡単ではありません。ある程度「現行の不条理」浮き上がらせる必要があります。
それがための「市民活動」。まー色つけたがる人がいますが、どんな問題だって「異議を申し立てたくなる現実」があるから物事動く。「文句だけやかましい」てな言葉はいくつも飛んできますが、「なら文句言わせない社会作ってみろ」と返しておきます。何しろ「異議申し立て」すら丁寧な言葉でくるみ込んで許さない言吐いている人もいますからね。黙り込むのはなしでいきましょ。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。