ここからはしばらく、沖縄の米軍ヘリ墜落事故に関連することを記していきます。
先ずは「そもそも軍隊の訓練を住宅地上空でやるか」という問題です。大方の軍隊は、その訓練を「生活圏」とは別の箇所で行います。
なぜか。
普通の航空機は「安全」といえば墜落しないで目的地に移送することを指します。しかし、軍機に関して言えば、「安全」=「撃ち落とされないこと」。故にその飛ばし方は、運転技術で言えば厳しい、普通時の「安全」とは遠いものです。だから訓練は住宅地から離れた位置で行うもの…のはずですが、そうなっていないのは日本における米軍です。地位協定の甘さもありますが、日本国中、どこでも使い放題。加えれば、ここ数年の沖縄での運用は「暴虐」としか言い様のないものがあります。
沖縄では小学校に墜落したのもありますし、横浜では幼い兄弟が犠牲になったのもありました。私の近いところでは…99年の釜石橋場地区の墜落事故ですか。直後に民主団体による検証があり、私も同行者として赴きましたが、現場は米軍兵が押し寄せていてものものしい雰囲気。日本側の人は立入禁止。Sさんが激しく食ってかかっていたという話を思い出します。
高江の墜落で「300m“も”あったから大丈夫」と擁護するアンチ野党主義者いましたが「ふざけんな」しか。釜石・橋場の現場も橋場の集落から何百メートル、という地点への墜落。「あと一秒か二秒、ずれていれば集落に落ちていた」わけです。アンチ〜の方々は「それならギリギリ回避したパイロット誉めろ」言いますが問題はそこじゃない。
300m…たしかに、歩けば距離、ありますよ。しかしヘリコプターでもその移動は一瞬ですよ。「歩きの300」と「ヘリの300」一緒にするな、と。それ以前に基本危険な飛行する軍用機を住宅地で飛ばすな。それしか言葉、ありません。
約20年経っても変わらないどころか、米軍の態度悪化+それに弱腰の日本政府。そもそも日本に米軍基地を置く理由何かありますか。
「アジア他国から守るため」
…ではない。
日本の基地を足掛かりに他地域に攻め込むため、が実態でしょう。「基地があるから守られる」とはよう言われますが、軍事基地は標的にしかならないもの。いざ何かあれば、その周りも被害食うのは、数年前の北朝鮮による韓国への砲撃で明らか。(そういう点で沖縄先島諸島の自衛隊基地新設も危惧持ちます)一回激しく有事にしてしまえばむちゃくちゃになるのは、アフガンでも中東でも明らか。逆に核兵器止め、軍事を省力しはじめた中東某国(イラン?イラク?)は、軍事に回っていた経済をそれ以外に向けて生活水準上がり始めたといいます。
憲法9条は権力に「戦争使っての問題解決を図るな」と命じているもの。その改廃も今回選挙戦の争点ですが、同時に「この後の社会の進ませ方」をも占うものになります。トランプ、キム各氏等による恫喝政治許すか、戦争さ持っていかせない社会維持するか。安全保障、というのは「軍事の強弱」で図るものに非ず、「戦争を起こさせない」ことにあるもの。国家間のパワーゲームなんてどうでもいいから、すべての市民を普通に生きさせろ…ぶっざけ言えばこんな思いです。
そさ持っていくのが簡単でないのは承知していますが、少なくとも逆流させてはダメでしょう、と。「9条」はじめとした、軍事力による横暴は誰であろうがダメという社会を維持する。それを申し上げて、今項を終わります。
※総選挙については特設カテゴリを置いています。