つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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No83 16日から18日までの間に何があったか。

 

 今晩は。伊東です。今回の記事は、ハッキリ言えば私の恥を晒します。しかし、気持ちを整理して、次の道を歩きだすために必要な事です。良ければ付き合ってください。

  去年の夏あたりから、体の変調が起きはじめ、足に雑菌が入り痛みはじめ、頭は高血圧が原因で病み、虫歯で食べることに難儀し、それらの回復が遅いがために「いつになったらまともな体に戻るんた!」というイラつきが、精神まで病むのに時間はかかりませんでした。11月には、勤めていたコンビニの仕事も終了となり、冬寒い中、療養生活に入りました。

 あまりに寒くなりそうで、同居していた祖母を北上の叔母に預け、私は病院の事もあり大船渡に残りました。どうにか体を治さなきゃ、と思い、他に金銭面で頼れる親族もいないため、社会保障のお世話になろうと思ったが、現実には、日本の社会保障の貧しさというのを思い知らされただけでした。生活保護は借金や車があるからダメ。じゃあ療養資金貸付制度を使おうと思えば、返せるのか、というのにばかり論議が行ってしまい、3ヵ月待った挙げ句「やっぱ生活保護がいいんじゃない?」と来たものでした。

 当然生活資金にも事欠き、兄や、私の周辺の協力を得、支払いなども待ってもらいながら、何とか辛抱してきましたが、やがて行き詰まる事は目に見えてました。先行きの見えないそんな状態で、どうしたらいいか。イラつきは最高潮に達しました。いっそ(本当の)バカになって、思考能力がなくなってしまえば、どんなに楽になるか、そんな心境にさえなりました。

 私の趣味の一つにラジオを聴くこと、というのがあります。純粋にラジオが好きだというのもありますが、それ以上にテレビを見ると…今までの計画的な視聴と違い、のんべんだらりと見てしまうと、見えなくてもいい、いろんな事まで見えてしまいます。健康体なら「ああそう」で返せても、病んでいる状態では受け流すことができませんでした。しまいには不眠症にもかかり、夜昼とっ違えた生活になってしまいました。ごく稀に調子のいいときに家事と小説書きをしていましたが、そんな状態になるのは、一日平均2時間ぐらいなものでした。

 心身共に病んでしまっては…対外的には「大丈夫」を装いましたが(所詮、すぐばれる嘘でした)内心はガタガタでした。無理な時は、無理だ、と叫んだほうが、無理を通すよりは良かったんでしょうが、ね。今更気付いても遅いんでしょうが。

 4月の第2週。3ヵ月待った挙げ句…のあった週でした。表面は、冷静を装っていましたが、完全にキレました。こんな状態で人にあったら、何するか分かりません。後述する事件のストレスと併せて、半ば発狂状態になり、誰にも迷惑かけたくないと、家に帰らず車を走らせ続けました。

 気が付いてみれば、そこは宮城県でした。しかも、仙台が近いというくらいの。悶々と考えながら、色々な嫌な事を思い出しては、車の中で発狂。よくぞ事故らないで来れたものだと思います。

 少し車を停めて、その辺を歩きました。今まで浮ついた気持ちを落ち着けるように。先のブログでも語ったように、あまり外にも出ず、家にこもっていた身としては、長らく忘れていた感覚でもあった。左足は痛むものの。そうして、落ち着きを取り戻したら、無性に行きたくなった所があった。去年、イーグルスの試合を見に行ったときに、印象のいいメシ屋があったので、そこに寄った。

 印象度の良かったお姉さんはまだその店で働いていました。前回の仙台行きで、忘れ物をしたときに親切丁寧に対応してくれた方です。丁度仕事が終わったところで、去年の事の礼を述べた後、時間をつぶす間、少し座って話し込みました。

 人間性等を見ると、他にも仕事できそうだけど、旦那さんの急逝で母子家庭で、時間や子供の都合を考えるとパートしか出来ない…との事。何しろ、一年前に一度来ただけの私を覚えていた(前回も、ラッシュ時じゃないので少し話は出来たわけです。それで携帯忘れたオレはまるでバカですね)程記憶力いいんだからね…と思ったら、単に私の印象度が濃いだけだったそうです。

 …あれから1年だぞ?!と驚きを隠せませんでしたが、そうか、私の数少ない長所「抜群な印象度・余分な敵はつくらない」。気付いてみれば、敵ばかりではない。30年ムダに生きてきたわけじゃない。…もう少し図太く生きてみるか。30にもなって、足りない部分も山ほどあるけども他の人にない財産もある。

 様々に出会ったすばらしい人。その出会いに恥じない人間になろう。場所とタイミングさえあえば、ひょっとして、ひょっとした人になれたかもしれないが、この部分に関しては何を言っても仕方ない。ただ、私と話できたことで、お姉さんに何かプラスになることが出来たのならそれでいい。向こうも子供さんを迎えに行く時間になったのか、私も丁度ご飯を食い切った所でお別れとなった。「今度来る時は恋人つくって、その自慢話においで」と。言い忘れていたが、お姉さんとは言い続けていたが、彼女はまだ25歳。ったく、こんなんじゃどっちが年上か分からない。この「福島出身の秋田美人」の親切を胸に、大船渡に帰ることにした。幸い薬は持ってきていたので、体調面でも無事に帰りつくことは出来ました。

 大船渡に帰ってきた後、私の状態を心配した人から、叱咤激励を受けたり、話に付き合ってもらったり、健康法を伝授してもらったり…異変に気付いた祖母から北上に連絡が行き、母と叔母が大船渡にやってきたりしました。

 何とか、精神も落ち着きはじめ、復帰への足掛かりをつかみました。2日間の特に異常な精神状態。しかし、ここで一線を超えなかった事で我を取り戻せた、と言えたでしょう。一歩ずつ、復帰に向けて頑張ります。

 ここでもう一つ、ケログ(前ブログはこう言います)でしてしまったことを書きます。ストレスがかなり高まった時期に、ある記事を見て…実生活では、このやり方はないだろう、という物事にに相対しても、どう波風立てないで対応するか、というのは分かっているつもりだった。が、この時は、完全にそのやり方を忘れていた。何とか、それに対応しようとしたが、私の全能力を使っても、たたかえなかった。普段話をすれば、これで解ってもらえるか、という話し方で考え方を分かってもらおうとしたが、通用しなかった。

 結果的にケンカを売った身で言うのも難だが、自分の不足、不明を恥じた。やっている事には自信はあったものの。丁度その時だ。おかしくなったのは。もう、こうなっては、向かい合えば向かい合うほど傷口を深くする。自分の考えのまとめを言って、撤退するしかなかった。犬と呼ばれ、敵前逃亡と罵られてもだ。人間の負の部分の怖さ、ネットの負の部分の怖さを思い知らされた。相手の顔を見ないで話をする怖さというのか、それを思い知らされた。

 私の欠点は「短気・短足・単細胞」。短気な部分が、自分の首を絞めることを、実生活では分かっていたのに…。それが出来なかったのが悔しくて仕方ない。

 この部分に関しては、まさに自分の恥。この一文を見たブログユーザーの皆さん。私の失敗を糧にして、自分は「伊東みたいなミスはしないよ」って事で頑張ってください。