つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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さすがに。

 「桜を見る会の私物化問題」。擁護できる領域を確保するために土俵を変える行為が多く見えまして。

 殊に与党側の不誠実な対応を野党の責任にされるのはたまったものでありません。「与党の不誠実行為は野党の責任」ではなく、与党の責任です。「強姦被害は防御しない被害者が悪い」という形のごまかしが日本社会に横行しているのに怒りを持ちます。くだんない混ぜ返しに折れないでいきましょう。

中曽根康弘氏の逝去にあたり。

一)11月29日の報道で中曽根康弘氏が逝去したという報道がなされました。

 私が社会に目を向けるようになった時期は中曽根氏が首相だった時代。「戦後政治の総決算」というお題目で公的機関の民営化、社会保障など個々の市民に対する大変さに目を背ける政治など、いまの安倍政権につながる施策に決定的に道を開く過ちをおかした政治家と認識しています。

 また、戦争中は官僚・軍人として戦争遂行の“大義”のもとで市民、あるいは事実上の占領下にあった地域の方に苦難を押し付けた所業も決して忘れてはならないものです。

一)101年の人生は上記に触れた部分だけでなく、個人的なものもあるのは当然の話。個人の存在まで批判するものではありません。ただ政治施政者は行った施策、行動は論じられ、評価されるものです。適切なものである限り。

一)以上を踏まえて。生きるというだけでも大変なのはわかりますので、101年生きた部分については「お疲れ様でした」と申し上げ、一方で政治・官僚として行ったことはいまの安倍政権による苛政につながるものとして厳正に対応することにします。

二)最後に。文中に記した通り中曽根氏の行った施策で市民側にとって大変な社会が招かれ、辛酸をなめた人にすれば「死んだからとお悔やみ言うか!」という思いになってもやむを得ないでしょう。左派議員が逝去した際のような罵詈雑言に与する気は一切ありません。同時に「弔意の強要」もご容赦いただくよう願うものです。

「桜を見る会」追及の宮本徹、田村智子両議員への嫌がらせリプ凄し(呆)

 「〜〜という理由があり批判している」ではなく「〜〜を叩くために理由こしらえて批判という名の嫌がらせ」をしている方が多く。しかも宮本徹議員が別機会にしている「ひきこもり“引き出し屋”」問題で引き出し屋側に着くのも。

 〜〜を叩くためにあらゆるもの打ち壊します?程度ってものを知ってください。

「もう飽きた」で片づけられない桜を見る会私物化問題。官僚の愚行も。

 私はいじめられっこの経験があり、その後独特の個性を形成して存在はしていますが、人間がとりがちな「悪意を持った負の面」には度々出くわします。以上の経験から踏まえると「反撃をしないと際限無く図に乗る」。度々拙稿で「放っておいたらいままでのが“前章”になる」と記しましたが、残念ながらその危惧はあたることになってしまいそうです。

 26日行われた野党合同ヒアリングで、宮城野党共闘・石垣議員の質疑に対して、なんの関係もないOutlookの説明書を差し出そうとした者がいたとか。たしかに、説明は要求したがそれは全然違う。明け透けに語れば「バカにしてんのか」としか言い様のない行動です。している議題は“桜を見る会”の話でしょ。Outlookの使い方なんて一ミリも必要ない。舐めている、を通り越した怒りを覚えます。

 いまの行政がすっかり安倍政権の影響下にとりこまれ、別なところでも豚コレラ対策が後手に回り、効くとわかっている対処法を頑として使わないという話を聞いています。自分の体面守るためなら社会も壊しますか。これまでの様々な苛政隠蔽に見られた構図。「もー飽きた」に屈しないで打ち破らないと、と考えるものです。

 おつきあいいただきありがとうございました。

大澤昇平氏の一件から覚える危惧。圧制への諦めと能力の誤用。

 大澤昇平氏の「中国人雇わない」からはじまる一連のゴタクサを見ていますが、殊に「AI絶対化」「何か答えが出れば“そうしろ”という必然性があったから」(共に主旨)の発言には障るものを感じました。自分の属性が「強力な力による抹殺」うけた経験ありましてね。AIかなんか知りませんが服従する気ないですわ。

 ただ、なんでしょう。別な箇所では安楽死強要者による「安楽死は拒否しきれなければそこまで」という言葉も然り、「強力な力に屈するのも&殺されても仕方ない」考えが力を持つ。しかもそれに対しての「躊躇」が全然見えない。約20年前に出された斉藤貴男氏の著書に出てきた富裕層の「自分等以外はどういう目にあっても構わない」という“無邪気”さに通じるものがあります。

 新しい技術は生活の幅を広めたり、便利にしたりしますが、使い方を誤ればすぐ凶器にも変わりうるものです。ラジオが虐殺の宣撫に使われたのはたかだか30年前。SNSはそれより伝播力が速いから「能力」は高くなっている。その怖さを認識いただきたい。

 秀才か何か知りませんが易々と殺されたかないですね。強く警告して項を終わります。おつきあいいただきありがとうございました。

「桜を見る会追及」は、市民の生存権を守る戦い/高知県知事選。

 国会審議。桜を見る会の私物化問題で、今日は新たに「あからさまな詐欺犯罪」者まで招待されていたことが共産党・田村智子さんの質疑で明らかに。しかし、安倍政権の“武器”は、自らの生存のためなら社会を壊しても構わない基本姿勢。その気質を利用して「何をやっても効かないん(以下略)」と煽る安倍サポーター。

 しかし、現実に削られているのは労働者や生活者の生存領域。某健康商品メーカーは欺瞞的な「個人契約」を打ち出し、労働者の権利を打ち壊す。会社法では経営側・株主の力を強めるのに主眼置かれた―などなど。

 「市民・労働者・生活者」から収奪し

 「資産家・反動右派」などオトモダチに便宜をはかる。

 安倍政権の7年はその繰り返し。「反日野党は安倍さんに逆らってばかり」などと言われますが、何度も何度も何度も…焼き鏝押しつけられる経験されてへらへら笑っていられるほど人間できておりません。同時に、怒りをもって起意したあとは「通す」工夫をして、2013年の選挙で共産党を伸長させた「希望を語り行動する」、を市民&野党共闘に織り込んでまいります。

PS 24日投開票の高知県知事選。市民&野党共闘の村上けんじさんは当選まで至らずも、ひとつの足場を築くたたかいをしました。関わられた皆様お疲れさまでした。

苛政に一石、そして市民側に立つ政治を。高知県知事選は松本けんじを。

 特に国政部分でですが、持つ権力に応じた緊張感が途切れると、これでもかと苛政が止まりません。私は自らの立ち位置が「与党」になったことがありますが、広い合意をもってことを為そうと考えたら、河村某氏のような反動右派首長がとりがちな妄動はとっている暇はありません。

 政治・社会をつくり直すにはその任を任せられる人を当選させる。大きく目立つところでは高知県知事選挙の松本けんじ候補を推薦するものです。明日24日は投票に、そして高知県の皆様には松本けんじさんへの投票ご検討ください。

 短文ポツポツですみません。また後刻。

桜を見る会・「元暴力団の地方議員」について整頓しておきたいこと。

1)まず、暴力団の構成員だった人が暴力団から外れ、犯した罪について応じた罰を受け、社会復帰することについては何の異存もありません。その点については報じた週刊誌も受け止める方も慎重であってほしい。

2)ただし、地方議員という公職に就けば「行動に応じて意見をぶつけられる」側になるわけです。1)での更生を基に公職の上で為された行動の批判を封じるのは論外ですし、まして「桜を見る会」「権力者」との関連には疑問も持ちます。

 「暴力団から更生したのまで野党は攻撃する」なんてのは、この理屈で蹴り飛ばすことにします。

上念司と同調者による「白を黒語りで因縁づけ」行為を看過するな。

 「桜を見る会」問題は、話が大きくなった今あちこちに話がとっ散らかっています。要(かなめ)は「桜を見る会」の私物化及び行事利用しての利益供与。財界や米など覇権主義者に迎合するために市民からは収奪行為を図るのが安倍政権の施策。それがゆえに自分に迎合する人物は固め、支持しない人には黙っていてもらう―ぶっざけ言えば「己のの支持者以外は寝ていてほしい」―というやりかたをとりがち。

 施策に自信あるなら「〜〜物事進めたい」で話進めりゃいいものを、それをすれば激しい対立になるのが必定だから、そんで自身が権力強者の位置に居続けるためにどうすればいいか言うと「自分以外の存在を無きものにする」。その過程の中で一挙一動に至るまで全否定すれば、その思考回路にハマった人には強力な効果が現れます。

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 今朝、上念司が「共産党の後援会行事が違法」と一席打ち、当然そんなものデマと一蹴されますが今度は別な言い方して開き直る。それを見た支持者は上念の発言をさらに加速させて細々と「共産党」「違法」部分だけデカくしゃべり、刷り込みにかかる―このやり口で幾度煩わく、ムカつく思いをしたか。

 これまでも「ビラまきは警察の許可〜」「街頭宣伝は警察の許可〜」「政党助成金受けない〜」「収入の1%党費は〜」…デマかたりは数が勝負とばかりにいくつもいくつも撒き散らす。ま、確信犯でしょう。議論が発展すれば「こんなんか」という事実が明らかになっても、首根っこつかんでスタート地点に戻す。さしずめ双六で上がった人をスタート地点に引きずり戻すような所業。

 合意ができなければ「離れる」のも手ですが、いまや「潰す」「黙らせる」が主戦法化していますね…。過日触れた自称元皇族氏の訴訟話も、大がかりに網をかけて口封じにかかっています。黙らせるだけに飽き足らず、殺しに来ましたか。

 殺しに。

 

 様々な面に目を向けながらのたたかいになります。生きて越えましょう。おつきあいいただきありがとうございました。

国際試合を楽しめなくなった理由―「■■ざまぁ」の横行。

 普段、野球に関する記事は別のアカウントで書きますが、ある種の問題が並行して起きているときは当方のブログで記します。

 WBSCプレミア12、日本代表が優勝。各種報道で「本当のフル代表は日韓のみ。あとはマイナーリーガーなどをあてているから」云々の記述を多く見ますが、08年北京五輪のようにマイナーリーガーにスコア以上の大敗を喫したことがありますし、制約あるとはいえ地域内の優秀選手が集まった代表チームを甘く見てわんないです。事実、接戦多かったでしょう。その中を勝ちきった稲葉監督はじめ日本代表チームには「おめでとうございます」と祝意を表すものです。

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 しかし、私自身としては喜べないし楽しめもしなかった。10月のある野球発言者の「野球を朝鮮人の調教に使え」発言にはグッサリ来るものがあり、野球に対する熱意をゴッソリ削られてしまいました。1試合もプレーヤーとしては出ない状態で25年続けてきた野球の熱意を。

 それ以降もラグビーW杯で声と“背後”がでかい人たちによってかけられる「服従しろ」という圧力。いい加減、ウザさを越えて激しい負の感情をおぼえますよ。国も、旗も、歌も、「ある種の人」も「催しごと」も桜の木も、

 そして野球も。

 他人踏むための道具じゃねえ。

 既に、ある立ち位置にいる人が「カテゴリ」に居づらい状況というのはつくられています。あるカテゴリ全体をそういう空気にしてしまい、それを国中に、にされるのは専らごめんです。