つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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国保税滞納・生活費分まで差し押さえる対応に告訴でたたかう人に叩きつけられる悪罵。「世の中“当たり前”だけではない」ことから知っていただきましょうか。

 2日ばかり筆をとらないでいました。今年も本格的に仕事が始まって、その流れの中でははじめての休日。ぐったりばて果ててしまい、ほぼ一日休養にあてていました。第二週あたりに帰省できないか考えましたが、今回は難しそうです。ある程度防寒利いている自宅ならともかく、実家は寒くて寝られません。

 寒いといや…社会活動に関わる分野でも。国保税の滞納を理由に10万円/月に満たない給与を差し押さえた、というニュース。「税の滞納」の文面だけを見て該当者を激しく詰るご意見が多数見かけますが、そもそも生存最低限の金銭は差し押さえてならないものでしょう。それを間隙ついて屁理屈つけて押さえ込んだ、と。戦って当然の話です。

 先ほども書きましたが、SNSでは該当者を詰る−それも(1)滞納そのもの(2)月8万の給与で子どもと生活しようとすることの“甘さ”を突く(3)国あるいは“多数者”に逆らう行為に対する嫌悪感、と。「俺たち多数者はできている!何でそんなこともできずに迷惑かけてんだオラァ!(以下略)」と怒鳴りつけるのは簡単ですが、もっと簡単に語れば「それができない事情・原因がある」方に気づいていただきたい。そーいう観点から相談の窓口広げている自治体もありますが、多くの自治体は徴収業務のみを強化して締めつける方を優先しているのが実際です。

 安倍政権に対しては06年の一次内閣時から厳しく見ている私ですが、それを抜きにしても「民主主義の基本は権力の監視」ということを投げ棄てられ「権力者と同一視して、それを批判する人を“ジャマ”と見る現象」が幅を利かせているのが何とも…ですが、気づいていただけるまで諦め悪く立ち位置維持していくとします。税徴収についてもですが、「世の中多数派についていけない人もいるからそさも目を向けなければならないんですよ」というのを提示し続けていきます。

 おつきあいいただきありがとうございました。

いじめっこ感覚で「一線」踏み越えてきているヘイト集団。年末年始の動向と“発火”防ぐ行動を、の呼びかけ。

 今日は記事連投します(記載は11日。エントリ日はずらしています)。

 変えようない属性に対して嫌悪感・憎悪を叩きつけるヘイト行為。抵抗もなされ、参加者を減らす効果は出ていますが、一方で継続して続けている者の「平気で一線を踏み越える」悪どさは増しています。Twitterタイムラインでは下記の行動をしている者がいたので紹介します。

1)韓国料理店に行き旭日旗を広げ外套をかける所に引っかけ展示

2)その行為をTwitter掲示し、批判には「俺様ルール」でねじ伏せる

3)「在日が多く住む集合住宅」の「在日に多い名字」のポストに旭日旗デザインのビラを入れる

4)東京都内の朝鮮・韓国学校旭日旗デザインの年賀状を送る

 …一々がやっていることがいじめっこのそれで、白眼視しかできません。こうやってひとつひとつ一線越えて踏みつける行為がイラつき生むと。挑発を積み重ねて何させたいかいや「実力行使」。昔から数多くありますね。1933年のドイツ国会放火とか。そーいうきっかけ作らせたいから挑発は段々度を増していく。年末には在日朝鮮人が多く住む地域の立ち入りを禁止された方がん十万払ってまで入りこんで挑発的なチラシを撒き散らす事例も。

 連中の狙いは「可燃気を充満させて爆発させる」だから、それがロックオンされた者は目的のためには手段選ばないところまで先鋭的になっています。この問題もクリアできる年にしましょ。おつきあいいただきありがとうございました。

共産党の党名議論を見て―人が持つアイデンティティを否定的に弄る気なら、それに乗する反撃食らうのを覚悟で。

 今日は。今日は書けたら二題お送りしています。

 まず最初に。野党の選挙協力の話で、共産党には大体次のような要求が突きつけられています。

 1)党名の変更

 2)党首選挙の「民主化

 3)天皇制全面的容認

 4)民主集中性の放棄と分派の容認

 5)政党助成金の受け取り

 …と、ざっとあげてこの通り。他にも「共産・社会主義の放棄」とありますが、とりあえず衆目集めやすい1にあてましょうか。ただ、最初に述べておきますが、他者の根っこを為すアイデンティティーに触れようと思うならそれは生半可な覚悟ではしないことです。最終的には共産主義目指すことには変わりないし、その目指すものはこれまで共産党と名乗っている勢力の何番煎じとかでないやり方でつくるもの。「民意」踏まえて段階経て変える気でいるから、一定の期間「矛盾との共存」が起こりうる場面もありますし、その部分とらえて「ダブスタ」とか言いたくなりましょうが、目先のみにとらわれて「人気あるやり方」にのみひっつく気はありません。

 それに、共産党の名前だの何だの変えてほしいと思われる方は「否定者」が多い。最近よく見るパターンで「〜すれば支持する」なんていう心許ないことを言って「アイデンティティーの軸をへし折る」行為。それさ乗る気はありませんね。

 いまの社会から共産党が消えた場合、考え方の座標軸をひとつ失う。その結果、経済界など権力層悲願の「共産主義思想の廃絶」となり、その思想が現在の社会で活きているものまで壊すキッカケになります。90年あたりの「ソ連崩壊」からはじまる共産主義の否定する試みはずっと続いているので、何とか跳ね返したい。それ語って項を終わります。

安楽死議論から―否定よりはポジティブさが良いのは確かですが、否定の言葉の中に発せられた危機感というのも考えてください。

 1月も一週間過ぎました。あり、全日本実業団駅伝やったの昨日でなかったっけ?とかとぼけている内に七草粥の時期に。自己管理できている兄貴にして「正月食い過ぎたー調整必要だー」とか言っているのを聞いて、「そーいや七草粥って精進料理みたいな感じだが…そういうことか」と。調子整えなおして正月明けの喧騒に向かいます。

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 年末年始、安楽死についての議論が一気に広まりました。SNS・Twitterで見る限りは賛成の方が多く、「反対派を強く批判した上での賛成」も無視できないくらい存在しました。直接の論はまた別に記すとして、今回は「反対意見そのものの存在」について。

 野党支持者が突き当たる問題として「現状の否定を指し示す場面が多く、それがひいては否定する対象の賛成者にダメージを与える」ことがあります。無機質的なアンチ野党の存在も拍車かける基になっていますが、「安倍政権批判だけでなく『何がしたいのか』を聞きたい」という意思から放たれる部分もあったり。まあ、たしかに後者の部分について言えば6年前の共産党躍進はその行動があたったものもありましたからね。うなずく部分もあります。

 それでもポジティブな物言いのみが果たしていいのか、というと疑問。どーしても制動(ブレーキ)も利かさないとならない場面もあり、特に安倍政権のとる復古反動施策にはブレーキしか利かしようないものが多い。多いけど、反対そのもののが否定的にとられるいまの世情にはどうにも頷けない。

 先に述べた安楽死も「いまの苦難を安楽死で救う(大主旨)」ことが肯定的にとらえられ、それを否定し反対する行為が「反対するジャマ者」としかとられない。圧力による強制安楽死の危惧すら「反対するための口実」としかとられない。実際そういう悪意を受けた私から見ると「無邪気にとらえすぎ。それが巡りめぐって生存権の否定につなげられたのでは話にならない」てな思いでいますが、いま安楽死の議論のメインにされる方はその部分を避けています。

 反対することの拒否感が物事をあらぬ方向に引っ張ってしまう―ちょっとどころじゃない危うい空気を覚えます。賛成者のなかには「多少意に沿わぬ強制死が出ても仕方がない」なんて言葉かたる方もいますが、そこまで行くと鼻白むものがあります。

 ポジティブもいいけど、無邪気にそれを適用するのはご勘弁願いたい、と述べて項を終わります。

「誰でもできる仕事」論議にある仕事に対する軽視あるいは蔑視。それができなくなった者からひとこと。

 ZOZO重役の田端氏による左翼叩き、更にそれに乗せられた方による加重的な意思表示の積み重ねで「左翼的な意見」というだけで軽視または蔑視的な意見が幅を利かす。その範囲が拡がっているのは不愉快です。最近、この枠組みで話かたりされているのが「誰でもできる仕事」。「誰でもできるから低待遇でいい」てのと「誰かが就かなければそれはできないから待遇改善も図るべき」というのが対立点。私自身は後者の意見に立ちますが、それ以前に「仕事に就けるだけ選択肢があって羨ましい」と思っています。

 元々心臓などを病んでいるのに加え、精神的にもビリビリしやすい状況で、一般的会社の就労に耐えられません。いま働いている箇所は事情を知っていて、それなりの対応が可能がゆえに対処が利きますが、一般的会社のシステムには対処不可、てなわけで、生きる選択肢は他の同年代の方より非常に狭いわけです。そんなものだから「仕事できるだけでもいい」し「そのバックアップしよう(社会活動・これは「できること」の内)」と考えるように。

 それだけに「誰でもできるから」と労働条件を低くしたり、軽視したり、ましてや蔑視する人には障るものがあります。私が生涯で二番目に長く仕事をしたのはコンビニ店員(96〜09年)ですが、実は始める前は甘く見ていたんですよ。それこそ「レジに立ってりゃ誰でもできる」と。

 まあ、甘かった。

 覚えるまでに時間かかるやつがそんなんで入ったもんだから、慣れるまでには時間かかりました。2店舗で働きましたが、両方とも私の事情だの気質分かっている方が雇主だったので気を遣っていただいてましたが、端から見れば「伊東君でなければクビにしている」程の状態だったようです。ほんだから、仕事軽く見る方には「冗談じゃないぞ」と思うものです。

 仕事が「誰でもできる」ようになったのも、先人の創意工夫などがあったからですし、業務に入ってしまえば「へへん簡単だろ」なんて言えない状況もあります。そこらへんぶっこ抜いて労働を軽んじる方にはきつい目線しかくれてやるものはないですよ、と申し上げるものです。

 おつきあいいただきありがとうございました。

基本的人権は多数決では潰せない−古市憲寿、落合陽一両氏の対談からはじまった「安楽死」「生産性」の議論を見て。

 どうにも生まれ、育った環境のせいか、障害者の生存権、「生産性に劣る者」の生存権に関して神経過敏になりやすい自分がいます。三年前の長谷川豊氏による「透析患者を殺せ(事実の提示)」発言もそうですが、社会の圧力が一気にかかって「邪魔者は排除しろ」という方向に崩れ、傾くと「いつ殺されるか」という不安にさらされます。

 弱者保護を語ると「きれーごと」語る向きもありますが、きれーごとだれなんであれ、庇護を受けないと簡単に千切り殺される。いま現在の社会でも集団的殺戮起きますが、大方は比較的強者が比較的弱者を“殺してもいい”と判別したときに起きている。今回、この空気をつくり出した原因は古市憲寿、落合陽一両氏の対談で、年明けてから様々弁解述べられていますが、不用意な発言で“種”撒かれても困るのですよ。医療費の高騰は終末期医療ではなく先進医療が原因、てな意見もある。「それでも医療費は高いからどこかで“線引き”しないとダメだ」というのが両氏支持者のご意見なのでしょうが、それを“劣等者”切り棄て策と連動させたらどうなるか、少し考えればわかるでしょう。

 「どうにもならないことは諦めろ」と言うだけに止まらず、積極的に殺しに行く言説も。自分は助かる位置にいるから振る舞える一言でしょうが、はっきり言えば「ふざけんじゃねえよ」。どんな多数にいたとしても、“劣等者”、少数者をひねり殺していいわけじゃない、そのくらいはご認識いただきますか。そして、「対象者が黙って殺されてくれる人」だけじゃない。たとえ一時多数決を間違った方向に進めたとしても基本的人権を基に跳ね返していくことを強く申し上げるものです。

 安倍政権・同支持勢力による非従属者対策は「非従属者の存在そのものの否定」→「安倍政権しか視界に入らない空気の醸成」。だから反対者を黙らせる方向でひたすら動く。それが故なんですね、「黙って死んでくれる」ことを期待するようは話かたりが癖になっているのは。

 そういう期待には一切応えてやらない。

 以上述べて項を終わります。

国民主権を守る不断の努力−なるほど、それを欠くとあっという間に転がり落ちる、か。各種での「一党選挙」を見て/久保寺雄二さん夭逝から34年。

 最近でもカンボジアの選挙で与党が全議席を得るなど、野党の選挙不参加から与党が圧倒的な力を得る選挙を目にします。いまは「先進国」いわれる国でも、ドイツはナチス、イタリアはファシストが全議席。日本は大政翼賛会が大多数で、事実上「国軆」を認める勢力でなければ議席を得られない、なんて選挙もありました。

 いま一番危ういのは日本でないですかね。17年総選挙では「下手すりゃ共産党社民党以外オール与党」なる所までいきました。実際の得票数では与野党五分ですが、少人数区が多いので与党優位に結果が出る。「結果」しか省みない世相もあり、野党支持者が「折れる」様子も見えたりします。安倍政権親衛隊的支持者はそうなるように行動しているとはいえ。

 存在し続けるための行動ですか…意識してかないとわんないですね。

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 1月4日は南海ホークスの選手だった久保寺雄二さんの命日。85年でしたから34年経ったことになります。別ブログではNPBホークスの攝津正、Jリーグアントラーズの小笠原満男両選手の記事を書きましたが、「川面は同じように見えてその実るる移り変わる」様子を目の当たりにします。現在点とらえつつも、流れにどう相対するか。模索しながら歩くとします。おつきあいいただきありがとうございました。

熊本の地震に際し/加熱する安楽死議論。“善意”から大量虐殺に至ったこれまでの歴史踏まえ、安易な対応許さず生存権維持の観点から議論を。

 記述直前に熊本震度6の報を受けました。3年前のダメージも抜けていない中の強い地震、無事を願います。また、環太平洋の視点でいうとインドネシアで9月以降ダメージの大きい災害が二度ありました。日常に紛れがちですが備え用意して気をつけていきましょう。

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 改めて。いつもは仕事場の定休日がかからないシフトになっていますが、今回は年末年始の絡みで休みが一日増えまして、普段よりは暢気な正月を過ごしています。時間の使い方だけは。

 しかし…耳にする「話かたり」は暢気にばりしていられない物事も。年末に若手評論家2人が「完了から聞いた話」として「終末医療を減らせば医療費が減る」と語り、そこから生存権を切り、全体主義的に話を進める一幕がありました。先月からどうにも「安楽死」の話題が多くのぼるように、しかもその中身が「安楽死制度の適用不可避」の方向で語られているのに不可解な思いでいます。

 人間の死は絶対的に存在を失うもので「やり直し」は効きません。本人の意に沿わぬ延命治療の終了・尊厳死という選択ならまだ分かりますが、能動的に死を選ぶ行為には解せぬものがあり、ましてや何事にも「お国のため」がついて回る現状の社会では口減らし・間引きに使われる危険性も十二分にあります。

 現にいま起こっている議論の中で「そこはキチンと“判断する機関”がうまくやってくれる」ならまだしも、「圧力に負けて死ぬならそこまで」とか「死にたいと思っている人の妨害するのか」など高飛車に言われると障るものがあります。本来なら堕胎だが生まれ出て、今は病気もあり、ナチスドイツ基準で言えば安楽死の対象である私にとっては喉元にあいくち突きつけられている気分です。

 ナチスドイツ政権は「障害者に年間6万マルク使っている(穀潰しだ)」という宣伝で「生きるに値しない命」というレッテルを貼りつけ、「殺してもかまわない」という空気を醸成。他にも沢山の国地域で「障害者など足手まといは始末しろ」という政策は幾度となく行われました。障害者の集会で「棄民政策に舵が切られつつある」という報告もなされました。「金」を理由に限界語る方が多い現状は否定しませんが、個々の人権拡充こそ必要という観点でこの問題に相対します。

 長文おつきあいいただきありがとうございました。

体内のガス抜きに苦戦しています/「反安倍は黙れ」に屈しない気構えを。

 正月1、2日、仕事所用以外ほとんど寝るか、体調維持のストレッチか。からだが硬直してしまって、あまりよろしくないので回復にあてていました。言葉つくるとすれば「体内ガスが充満していて動きつらい」状況にあります。年末がーっと時間が過ぎて、自分の調子を省みるよゆうがなかったら簡単にこの様。この状態から抜け出すのは時間かかるので、手順踏みながら改善努めます。

 年明けて、4日からでしたか、国会は。力量がすっかりアンバランスになっている中で安倍政権の苛政を止めるには相応の活動量が必要。安倍政権親衛隊的支持者は批判されることそのものを嫌うので、とにかく反対派の発言を止めたい、で「逆らうこと自体が悪」のような空気、作り出しににきているのは何も見ています。この政権になってから、幾度も「放っときゃこれまでが温いと思われる状態をつくりだす」と記してきました。年明け5分後の示威的な速報しかり、毎日のように伝えられる「首相の動向」然り。

 気づいていただくには「警鐘」が必要なので、度重なる「黙れ」ハラスメントには従わず、納得しないものはしない、で歩きましょ。

2019年開始早々支配者気取りを隠さず示威的な行動に出た安倍政権。意思は分かった。いじめっこ気質を露にしている以上、遠慮なく打ちのめす。

 2019年始まりました。おつきあいのほどよろしくお願いします。

 ―というあいさつと雑談だけで一文終われればよかったのですが、新年開始早々ビンタ張られるような出来事に出くわしまして。

 0時05分、いきなりニュース速報のチャイムが。何事かと思ったら「【速報】皇位継承に伴う新元号 4月1日公表へ 安倍首相方針固める」てな文字が表示されていた。

 年明けてまもなく、「誰が支配者かわかっているよな」と言いたげに突きつけられた行動。朝になってからニュースで伝えればいいものを、わざわざグサッと来る方法で示威的に叩きつける。ザワザワくるような手段で。

 先制パンチですか。

 いや、こりゃ去年までやられていたことは「序章」でしかないと思わせるには十分です。

 意思はわかりました。

 遠慮なく打ちのめす。

 安倍政権がとる手法は、往々にして相手を黙らせるのを目的にした嫌がらせ(ハラスメント)の要素が入ります。親衛隊的支持者が更に増長させている状況もあるだけに、気構え組んで相対していきます。